東大生の息抜きブログ|常識とは本当に常識なのか

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こんにちは。東京大学2年の小川です。

今回のコラムは実は勉強にはあまり直接的な関係はないんですが、先日些細なことから常識について考えさせられる機会があったので、ちょっとした茶飲み話くらいに読んでもらえたらなぁと思います。

 

 

先日恋人の元気がなかったので原因を尋ねたところ、私に怒られたと言ってきました。

どうやら料理に手間取っていたので「(そのやり方の方がめんどくさいのにわざわざ)なんでそんなことするん(笑)」というつもりで言ったところ、「なんでそんなことするん!」と責められているように感じた、と。

まあ確かに私はよく言い方がきついと言われますが、この時もそんな自覚はなくて、寝耳に水状態だったわけです。もちろん怒ったり責めたりしたつもりもなく、ただ単純に「え、なんで?」って思ったからそのまま口に出したわけなんですが。

 

「え、なんで?」って思ったのは、私にとっては自分のやり方がベストで当たり前だと思っていたから、それ以外のやり方をしているのを見てびっくりしたということです。

だから「こうすればええやん」と言うと「そんなん言われてなかったのに」と言うわけです。だからそのあと「そんな当たり前のことわざわざ言う必要ないと思ってた」と自分で言ってハッとしました。

 

これって、自分の常識を人に押し付けてただけでは?

「自分にとっては当たり前のことが、全ての人にとって当たり前なわけではない」というのは、わかっていたつもりでもつい忘れがちになってしまうんだな、と。

私は常識っていう言葉があまり好きではなくて、辞書で調べると「社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと」と出てきますが、「何を当たり前とするか」ってかなり恣意的なものなんじゃないかと思うんです。

性別とか、年齢とか、性格とか、家庭環境とか、それらが違ってくると属する社会も異なってきただろうし、その中で当たり前だったことって違うと思います。そうして成長するにつれて無意識のうちに自分の常識が構成されていく。

別に自分の常識を持つのはいいと思いますが、私は常識に正しいも間違っているもないのではと思います。大多数が一致しているからそれが社会的常識で正しい、だからそれに従うべきだ、なんて少しも思いません。マイノリティな考え方を持つからといって、非常識だと非難される謂れはないと思います。

別に自分がそれを当たり前だと思っているならそれでいいじゃないか。

他の人と違って何が悪いのか。他の人が自分の意見と違っていて何が悪いのか。

 

と、こんな大袈裟なことを語った割に、結局のところ私も自分の常識を押し付けていたので、これからはしてほしいことはちゃんと言うようにしようと思います。

言わなくてもわかっているだろう、と思うことこそ常識の押し付けですからね。

皆さんも喧嘩になる前に家族や友達に「わかっているだろうと思うけど…」ということでも伝えてみてください。意外と「そんなの初耳だ!」ということの方が多かったりするので。

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